サハリンってどんなところ?
 
サハリン州は島々からなる州で、モスクワから約1万kmの距離にあるロシア連邦共和国の極東、日本の最北端にある宗谷海峡から約43km、大陸とを隔てる間宮海峡(タタール海峡)は、最挟部分で7.3kmに位置する南北約950km、東西最大約160kmの細長い島である。

標高1,000〜1,400m級の山が連なる丘陵地帯南部、中部の河川流域は平野が発達し、北部は低地が広がるサハリン本島とクリル諸島(千島列島、北方領土含)を総称してサハリン州と呼び、人口は州全体で約80万人と言われている。住民は、20以上の人種・民族からなり、ロシア人は最も多くウクライナ人・朝鮮人・白ロシア人・モルドワ人・タタール人等々である。また、現在ニブヒ・エヴエンキ・オルキ等の北方民族も住んでいる。
サハリン州は17行政区域を有し、19の市、99の村、200の集落と35の鉄道駅がある。

サハリン州は、ロシア連邦の重要な経済地域である。主幹産業は、漁業・石油・石炭・製紙・木材産業であるが、特に、北東部沖大陸棚における石油・天然ガスなどの地下資源は、世界各国の企業による開発プロジェクトが進められている。

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サハリンの歴史

古くから日本人と中国人に確証はないが島とであるされていた。17世紀からヨーロッパでは風説と2〜3の航海家が探検を行ったが確証を得られず、島であるか半島であるかについて、数百年にわたって議論されていた。1809年に間宮林蔵の樺太探検により間宮海峡(タタール海峡)を発見し、島であることが確認された。

中国の古来からの名は庫頁クエ島で、唐代に初めて中国領域に入って窟説、明代は苦夷、清代は庫叶、庫頁、庫葉とあるのは、その音訳異字で、また唐代社氏の<通典>に流鬼国とある。 清朝48年(1709年)に皇帝は3人のイエズス会修道士に命じて清国版図の実測を行わせ、黒竜江河口にいった修道士達は河口沖の海に島があることを現地民から聞いたが、この島について測量を行わず、黒竜江の「く」の字の形の島を画いて、現地民の通称サハリャン・ウラ・アンガ・ハタ”黒竜江口峰”の名を注記した。

中世以降、日本では北海道以北は蝦夷ガ千島という名称であったが、これは蝦夷(北海道)以北の多くの島群といった意味で、江戸時代松前藩ではサハリン島(樺太)を奥蝦夷、唐太とも呼んでいた。 幕府は文化6年(1809年)に北蝦夷(樺太)、蝦夷(北海道)、東北蝦夷(千島)の名を定めたが、唐太カラフトとも呼ばれたのは、唐太はカラヒト”唐人”の仮借で、唐人”中国人”(沿海州は中国清朝の領土であった)から出たものであるという。 明治2年(1869年)の北海道の国郡命名のとき、日本国内に、この名を用いるのは不都合として、この地に白樺の木が多いところから樺太と改められた。

サハリンの名は、17世紀に中国に渡来した西欧人や宣教師が、黒竜江(アムール川)を満州語でサハリャン”黒”ウラ”川”と呼んでいたことから、ロシア人は、その河口の海上にある島にサハリャンを訛ってつけたものであるが、初めは海中に突き出た半島としていた。17世紀半ばに帝政ロシアは、アムール川下流域に進出して清国の勢力に排除されたが、1806年に清国の衰退とともに移住民を送り、1850〜55年海軍提督ネベリスコイがタタール海峡とアムール川下流域を探検調査してサハリン島が島であることを確認し、ロシア領として支配し始めたので、わが国とその領有について争われた。1875年(明治8年)千島・樺太交換条約によってロシアは千島の北部と中部を日本に引渡し、その代わりに南樺太を領有した1945年第2次世界大戦でソ連の参戦によりソ連に併合された。



サハリンの生活情報

通貨

両替は、銀行や空港、デパートにある認可を受けた両替所で行う
ルーブルから外貨への両替は難しく、必要に応じてその都度両替をした方が良い
通貨(ルーブル)の価値
2002年5月現在  100円 ⇒ 25.2469ルーブル
 
時差

サハリンと日本との時差は1時間
但し、サマータイム(3月下旬〜9月下旬)までは2時間
 
電圧

124/220V 50HZ
日本とは電圧が違うので、日本の電化製品を使うには変圧器
(プラグのアダプター)が必要
また、外国でも対応できる電化製品もあるので購入するのも良いでしょう
 
飲み水

水道の水は浄水が悪く飲めない
ミネラルウォーターを買って飲んだ方が良いでしょう
(お店で売っているミネラルウォーターには炭酸入りと
炭酸抜きがあるので注意が必要)
 
トイレ

お店のトイレや公衆トイレは汚れていることが多く、トイレットペーパーは置いてません
公衆トイレの数も少なく、ホテルで済ませたほうが良い
 
気候と服装

サハリンの気候は北海道の北部と似ており、特にユジノサハリンスクは、ほぼ旭川と同じといわれ、5〜6月は平均気温は18度、7月は22度、7月下旬〜8月中旬は25度と真夏は気温が上がり、それ以降は急速に秋が深まっていきます。
服装は、真夏でも朝晩の冷え込みは厳しく、長袖のものを用意したほうが良い
 
治安
サハリンは、かつて比較的治安の良いところだったが市場経済の導入後、貧富の差が激しくなり実状はかなり変化してきた。そのため、夜の一人歩きは極力避けたほうが良い
 
サハリンの生活(ダーチャとバーニャ)

ダーチャとは、日本語では「別荘」という意味ですが、ロシアでは畑に小さな小屋を建てたような、自家菜園付きの住宅のことである。週末になるとダーチャで過ごすロシア人も多い。
サハリンの市民は、家庭菜園も含めると約9割がダーチャを持っているといわれている。自分のアパートを賃貸住宅として、自分はダーチャに住むという人も多い。

ダーチャのほとんどは手作りで、自家用の食料を栽培しているため、旧ソ連が崩壊した後、大変なインフレーションが起こっているが、こういった家庭菜園があるため、生活を維持できている実態がある。ロシア語の「ダーチャ」には、古語で「食料」という意味があり文字通りロシア人にとっての食料基地なのであろう。

ダーチャには、バーニャというロシア式のサウナを持っている人が多く、白樺の葉などで、汗が出た後に枝でマッサージをするそうだ。こういったバーニャは日本人には新鮮で、ロシアを訪れた際にはぜひとも体験してみてはいかがでしょうか?



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